HERITAGE OF MODEARNIZATION Story.02 欧米諸国に比肩する近代造船業成長の歩みを物語る近代化産業遺産群

技術の吸収と成長

我が国造船業の近代化は、海運力と海軍力の増強を目指し、造船先進国への船舶建造発注や技術者派遣などを通じた技術の吸収、同型船舶の国内建造と技術的な課題の克服などを繰り返し行いながら進められた。その結果、我が国造船業は、鉄製や鋼製の船舶を建造する自前の技術を持っていなかった幕末・明治初期から半世紀も経ないうちに、欧米諸国に肩を並べるまでに成長する。 このストーリーの近代化産業遺産例

幕末時点での我が国の造船技術水準は、蒸気機関等の製造に必要な機械工業が未熟であり、また船体及び機械の素材となる鉄の生産量もごく僅かであったため、当時、欧米で主流であった鉄製蒸気船の建造には程遠い状態であった。
そこで、政府は、まず手始めに、幕府から引き継いだ横須賀造船所(旧横須賀製鉄所)に加え、長崎造船所(旧長崎製鉄所及び小菅修船場)、兵庫造船所(旧加州製鉄所及びバルカン鉄工所)を官営事業とし、欧米諸国の人材による技術指導や機器の輸入等による設備の増強により、本格的な近代造船技術の習得に向けた第一歩を踏み出した。これらの造船所では、当初から大型の鉄製蒸気船を建造することは困難であったが、外国船の修理等の経験を積み重ねる中で蒸気機関等の製造技術を蓄積していった。その後、1880 年に政府は「工場払下概則」を公布し、官営事業は民間に払い下げる方針とされ、その後、長崎造船所が三菱社(後に三菱合資会社に改称、造船部門はその後に三菱造船となる。現:三菱重工業㈱)に、兵庫造船所が川崎造船所(現:㈱川崎造船)に払い下げられた。一方、横須賀造船所は周辺の港湾施設とともに1872 年から海軍の管轄となっており、これらの時期以降の造船業の近代化は、民間造船所と海軍の手で、海運力と海軍力双方の増強を目指して進められることとなった。
1894 年の日清戦争開戦以前においては、軍艦以外の鋼製蒸気船については、700 総トン未満の船舶しか建造できていなかった。また、1893 年の時点では、近代造船設備を有する民間造船所は、官営造船所に端を発する三菱造船所と川崎造船所、我が国初の民間造船企業である石川島造船所(現:㈱IHI)、イギリス人実業家が設立した大阪鉄工所の4つに過ぎなかった。しかし、このような中でも、瀬戸内等における小汽船海運の進展等を背景に、より高性能の鋼製蒸気船の国産化に向け、外国人技術者の雇用等による技術の習得、造船設備の拡充・整備等が進められ、この時期、三菱長崎造船所では、高性能の蒸気機関(3連成主機)を有する3隻の鋼製蒸気船、「筑後川丸」、「木曽川丸」及び「信濃川丸」が建造された。
1894 年からの日清戦争においては、大型船舶の修理等のニーズが高まり、これを受け、三菱合資会社による長崎造船所の増強や神戸へのドック新設、石川島造船所と浦賀船渠(現:住友重機械工業㈱)による浦賀へのドック建設など、造船設備の拡充・整備等が行われ、後の大型船舶建造の下地が整備されることとなった。
他方、大型船舶建造のニーズも高まったが、これについては、外国船の輸入により対処する外なかった。このような状況を受け、大型鋼製蒸気船の国産化の必要性を痛感した政府は、民間造船業の振興を図るために1896年に「造船奨励法」を公布し、700 総トン以上の鉄製船・鋼製船及び蒸気機関を国産する者に対して交付金を与えるなどの支援を行うこととした。
このような動きの中にあって、三菱長崎造船所が1895 年4 月に完成させた「須磨丸」は、1,600 総トンとこれまでになく大型で、二重底の構造を有するとともに、「筑後川丸」等と同様に高性能の蒸気機関を有するものであり、我が国造船業へのより高度な技術移入を物語るものとして注目される。また、「造船奨励法」等による政府の造船振興策が取られる中、三菱長崎造船所は、同型船を建造した英国の造船会社から設計図、「ワーキングプラン」(製造現場で使用される詳細図)を輸入した上で、1898 年、国際規格であるロイド船級を満たす大型貨客船「常陸丸」(6,200 総トン)を完成させた。これは、我が国造船業に、大型の鋼製蒸気船を建造するために必要とされる各種分業体制の整備、当該体制の管理手法、詳細段階の設計の能力等が総合的に移入された嚆矢となすべきものであり、20 世紀から始まる我が国近代造船業の劇的な発展の幕開けを告げる出来事であった。
他方、海軍における軍艦の建造に関しては、イギリス等から完成艦を輸入するとともに造船官をこれらの建造に立ち会わせて技術を学ばせる「監督官制度」の採用と、輸入した軍艦と同型の軍艦を国産すること等により技術の移転が図られた。また、横須賀に加えて呉・佐世保・舞鶴に工廠を増設し、補助艦と蒸気機関の国産化が進められた。こうした技術開発等の成果として、日露戦争中には横須賀工廠で、19,000 排水トンを超える初の国産大型戦艦である「薩摩」が建造されるに至った。また、こうした中で三菱造船所や川崎造船所などの民間企業も軍艦の建造を担うようになり、軍民の技術交流のもとで大型船舶の建造技術が高まりを見せた。
こうした努力の結果、明治末期には我が国の大型鋼製蒸気船の建造技術は欧米諸国の水準に肩を並べるまでになり、大型客船としていち早く蒸気タービンを採用した「天洋丸」(1908 年竣工、13,500 総トン)などが世に送り出された。そして、大正期には第一次世界大戦による好況でさらに生産量を拡大し、大戦が終わる頃には造船能力はアメリカ・イギリスに次ぐ世界第三位に達し、日清戦争前には約3割であった船舶の国産比率が約9割にまで高まった。また、軍艦についても、英国に続く蒸気タービンの導入などさらなる技術革新を進め、後の巨大戦艦「大和」、「武藏」(ともに65,000 排水トン)等の建造に至った。
造船業近代化の過程で培われた技術と設備は「造船大国・日本」の礎となり、戦後の我が国の復興・発展をリードする重要な存在となった。また、我が国特有の状況として、機械工業や素材産業が未熟な状態で造船業の近代化が始まったため、造船所や海軍工廠が自ら機械製造や鋼材生産を担うこととなり、造船業の発展は電気機械や車両等の機械製造業や製鋼業の発展にも大きく寄与し、我が国における重工業の端緒として大きな役割を果たした。

  • 2-a 旧横須賀造船所乾ドック/神奈川県横須賀市
  • 2-b スチームハンマー(旧横須賀製鉄所設置1865年オランダ製3トン門形)(ヴェルニー記念館所蔵)/神奈川県横須賀市
  • 2-c 旧住友重機械工業浦賀艦船工場第1号ドッグ/神奈川県横須賀市
  • 2-d 戦艦「大和」設計図面 呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)所蔵/広島県呉市
  • 2-e 小菅修船場跡/長崎県長崎市
  • 2-f 三菱重工業(株)長崎造船所史料館(旧木型場)/長崎県長崎市
  • 2-g 旧佐世保海軍工厰(佐世保重工業(株))250t槌型クレーン/長崎県佐世保市
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出典:経済産業省作成「近代化産業遺産群33」

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