HERITAGE OF MODEARNIZATION Story.06 我が国の近代化を支えた北海道産炭地域の歩みを物語る近代化産業遺産群
明治政府による北海道の炭鉱開発の歴史は、幌内炭鉱の開坑に始まり、その後、幌内炭鉱坑の払下げや払下げ会社による空知、夕張の開坑を経て、石炭需要増を背景とした石狩での財閥系資本による大規模炭鉱の経営へと進展していく。北海道で生産された良質の石炭は、小樽港や室蘭港を経由して全国各地に供給され、我が国を近代工業国家に押し上げる原動力となった。また、炭鉱設備の維持・更新は、機械工業技術の集積をもたらし、後の北海道における機械工業の発展へと繋がっていく。さらに、当初石炭の大量輸送の手段として敷設された鉄道は、開拓移民の上陸や開拓物品の陸揚げにも活用され、その延伸が北海道内陸部の開発を支えた。 このストーリーの近代化産業遺産例
明治政府は北境の防衛と開発を国家的事業と位置づけ、1869 年、北海道の総合開発計画立案とその経営を担当する開拓使を設置した。当初開拓使の次官であった黒田清隆は、「富国強兵」、「殖産興業」政策の下、早期に欧米の技術導入を図るため、アメリカ連邦政府の農務局長だったホーレス・ケプロンを開拓顧問兼御雇教師頭取として招聘し、北海道開発計画の総括立案を担当させるとともに、ケプロンを通じ、北海道の本格的な地質・鉱物資源調査を目的として、1873 年にベンジャミン・スミス・ライマンを招聘した。ライマンは全道的な調査により、我が国初の総合的地質図である「日本蝦夷地質要略之図」を作成し、その後の炭鉱開発に道筋をつけた。
北海道における明治維新以降の新規炭鉱開発の歴史は、1878 年に、現在の三笠市に位置する官営幌内炭鉱の開坑に着手されたことに始まる。同開発は、ライマンによる調査や榎本武揚の北海道内陸部調査等を基に開発が決定され、起業公債による開発費と海外からの技術導入により実施された。榎本は上記調査において我が国初の石炭の本格的な分析表を作成した。官営期の幌内炭鉱は外国人技術者を採用し計画的な坑道設定を行うとともに、新たな採鉱技術を導入し、当時、九州の三池炭鉱と並び、我が国において最先端の炭鉱技術を用い操業していた。
一方、炭鉱の開発と併せ石炭の大量輸送手段を確保するため鉄道敷設工事が進められた。アメリカの技術支援のもと、札幌~小樽手宮間の鉄道が1880 年、北海道最初の鉄道として完成した。この工事は、アメリカのパシフィック鉄道やペンシルベニア鉄道で技師として働いていたジョセフ・ユリー・クロフォードが技師長となって指導しており、国内に唯一残るアメリカ式鉄道である。
炭鉱経営の基盤が整備され、その発展の見通しがついた1889 年、幌内炭鉱は鉄道とともに北海道炭礦鉄道会社(以下「北炭」と表記)に払い下げられた。以降、北炭は空知、夕張の各鉱を創業開始早々に開削して炭鉱設備の機械化を推し進め、1900 年代初頭まで一貫して北海道石炭生産額の9 割前後を占める独占的な発展を遂げていった。
1906 年の鉄道国有化により、北炭の鉄道独占の時代が終わると、国内重工業の発展に伴う石炭需要を背景に、中央の財閥系資本が次々に北海道に進出し、開坑、既存炭鉱の買収を行った。財閥系資本は九州地方の炭鉱で蓄積した技術を投入し、近代的設備を持つ大規模炭鉱を次々に出現させた。石狩炭田では主に、三井鉱山㈱(砂川等、後に北炭を傘下におさめた)、三菱鉱業㈱(現:三菱マテリアル㈱)(美唄、大夕張、雄別等)、住友石炭鉱業㈱(赤平、歌志内、奔別等)等が炭鉱経営を行った。これら炭鉱では、大規模な竪坑開削が特徴となり、各所で竪坑櫓が整備された。竪坑櫓は炭鉱、さらにはその地域のシンボル的存在となった。運搬機などの設備の動力は当初蒸気力が主流であったが、採炭効率の向上を図るため、水力発電所が次々と建設され、蒸気力から電力への転換が進められ、電動巻揚機や循環機が導入された。
一方、北海道炭礦汽船㈱と改称した北炭も、依然として有力資本の一つとして石炭の採掘を継続し、さらに道内炭を用いた新規事業として鉄鋼生産に乗り出した。石炭の積出し港であった室蘭で、1907年には英国企業との合弁による日本製鋼所が、その2 年後には輪西製鐵場(現:新日本製鐵㈱室蘭製鐵所)が操業を開始した。
北海道で生産された良質の石炭は、小樽港や室蘭港を経由して全国各地に供給され、我が国を近代工業国家に押し上げる原動力となった。
一方、道内においては、鉄道による輸送が、鉱物資源のほか、開拓移民の上陸や開拓物品の陸揚げにも活用され、さらに、鉄道の延伸とともに北海道内陸部の開発が進み、林業などの森林開発につながった。また、上記の炭鉱設備や鉄道など、近代的設備の維持・更新を通じて機械工業技術・技能の集積が図られ、その後の北海道機械工業の発展に寄与することとなった。
- 炭鉱とともに発展した町の姿を物語る炭鉱住宅北海道各地
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炭鉱の立地は、その資源の存在状況に左右されることから、既存市街地から遠く離れた土地に開発される炭鉱も多く、特に近代になって開拓が始まった北海道ではこれが顕著であった。
北海道の炭鉱経営企業は、炭鉱の開発と同時に、労働者や技術者が生活する場として鉱山周辺に新たに町を拓いた。この「炭鉱町」は、主に住居施設(炭鉱住宅)や商業施設で構成され、炭鉱の規模が大きい場合は劇場など娯楽的施設が整備されることもあった。また、町の発展とともに、炭鉱町の旺盛な市場を目指して多様な資本も参入し、人と物が行き交う新たな町として大きな発展を遂げた。
炭鉱住宅は炭鉱労働者のための住居であり、初期は木造長屋形式が主体であったが、時を経てコンクリート造で高層のものも出現した。明治から戦前に建てられた炭鉱住宅はほとんど残っていないが、戦後に建設されたものとして、赤い三角屋根が特徴の建物が整然と並ぶ三笠市弥生地区の「鉱員住宅」などが現存する。
なお、炭鉱住宅は北海道以外の産炭地域でも数多く建設され、近代の姿を伺うことができる代表的なものとして、常磐炭鉱炭住群、旧三 池炭鉱職員社宅(白坑社宅)、田川市石炭・歴史博物館の炭鉱住宅(復元)、端島(軍艦島)のアパート群がある。
- 6-a 三菱大夕張鉄道南大夕張駅跡と保存車両/北海道夕張市
- 6-b 雄別炭礦跡/北海道釧路市
- 6-c 小樽アメリカ式鉄道 蒸気機関車「しづか号」/北海道小樽市
- 6-d 北炭幌内炭鉱変電所/北海道三笠市
- 6-e 三菱美唄炭鉱堅坑櫓/北海道美唄市
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出典:経済産業省作成「近代化産業遺産群33」
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