HERITAGE OF MODEARNIZATION Story.07 北海道における近代農業、食品加工業などの発展の歩みを物語る近代化産業遺産群

厳しい自然を味方に

本土とは異なる気候風土の中、北海道では、大型農具によって広大な土地を開拓し、畑作と畜産を組み合わせて輪作を行うアメリカ型の農業経営や豊富な一次産品を活用した食品加工業が進展した。しかし、これらは、独特の気象や広大な原野と森林が人の行く手を阻む地理など厳しい北海道の経営条件を克服する挑戦の歴史でもあった。北海道で見られる農学校やビール・ウイスキー工場などの建物、広大な畑地や牧場にサイロが建ち並ぶ景観などには、今も、北の大地に繰り広げられた人々の挑戦の足跡が残されている。 このストーリーの近代化産業遺産例

明治政府は、1969 年に開拓使を設置したが、道内各地への入植を進めるためには、まず食糧自給が喫緊の課題であった。開拓前の北海道は広大な原野と森林が人の行く手を阻み、また気候は冷涼で米の栽培に適していないため、当時の技術では本土のような形態の稲作農業は困難であった。
開拓使は、1971 年にアメリカ連邦政府の農務局長であったホーレス・ケプロンを開拓顧問兼御雇教師頭取として招聘し、各種産業の指導に当たらせた。ケプロンはその一環として、東京・函館・札幌の官園(農業試験場)で様々な作物の栽培実験を行う中で、北海道農業の方向として、大型農具によって広大な土地を開拓し、麦などの畑作と牧畜を組み合わせて輪作を行うというアメリカ型の農業経営の構想を示した。また、単に魚をとるだけでなく塩漬けなどに加工すれば重要な輸出品になると進言し、食品加工業の重要性を説いた。これ以降の北海道では、気候風土に適合した独自の産業として、ケプロンが提唱した新しい畑作・畜産と食品加工業が、官民それぞれの手で広がることとなった。
開拓使は、農業技術の普及と農業を担う人材育成を図るために、1876 年に従来の札幌学校を改組して札幌農学校(現:北海道大学農学部)を開校した。また、ケプロンが招いたエドウィン・ダンに、真駒内牧牛場を拠点として、牧場経営やバター・チーズ・ハムなどの製造を指導させた。これらの事業で育った人材が、その後の開拓を担ったことで、道内各地に畑作と酪農が着実に普及し、今日の北海道で広く見られるような広大な畑地や牧場にサイロが建つ景観が形成された。
さらに、道産農作物を加工し移出する目的で、ケプロンの指導で建設した苗穂の札幌器械所(工業団地)に、1876 年から麦酒醸造所、味噌醤油醸造所などを建設した。また、甜菜の栽培と製糖業の普及を目指して、札幌と紋別(現:伊達市)に官営製糖工場を建設し、1881 年に操業を開始した。
官営事業は後に民間に払い下げられたが、その中で、麦酒製造所は大倉組商会を経て渋沢栄一・浅野総一郎らによる札幌麦酒会社(現:サッポロビール㈱)の経営となり、また味噌醤油醸造所も福山醸造㈱の手に渡り、今日に至るまで順調に生産を継続・拡大することとなった。しかし、札幌と紋別の製糖工場の経営は成果が上がらないまま閉鎖され、以降はこの流れとは別の民間企業により努力が続けられ、今日の甜菜製糖業へと至った。
一方、民間の人材や企業も、北海道の冷涼な気候や広大な土地、そこから得られる農産物に着目し、道内各地で食品加工業に挑戦した。その代表的なものとして、北見周辺の薄荷栽培・精油業、稲作の普及を背景とした小樽の日本酒「北の誉」の醸造、北海道製酪販売組合(現:雪印乳業㈱)による乳製品製造業、余市の大日本果汁(現:ニッカウヰスキー㈱)によるウイスキー醸造業などが挙げられる。
北見周辺の薄荷栽培・製油業は、明治末期に東北地方からの入植者が開始し、大正時代には北見を中心とする地域で本格的に普及した。1934 年にはアメリカへの輸出を開始したところ、これが高い評価を受け、最盛期の1939 年頃には、作付面積約2 万ヘクタール、世界市場の70%を占めるほどの一大輸出産業へと成長し、この時期の北海道経済を支える産業となった。
小樽の「北の誉」は、醤油製造業を営んでいた野口吉次郎が、小樽港の発展に伴う日本酒の需要拡大と地元の良質な水に着目し、1901 年に日本酒を醸造したことに始まる。その後は順調に生産量を拡大し、今日も北海道を代表する日本酒の銘柄であり続けている。
北海道製酪販売組合は、練乳会社により酪農家たちが搾取されるという状況を打破すべく、酪農家自身が乳製品の加工・販売を行うことを目指して、1925 年に宇都宮仙太郎、黒澤酉蔵、佐藤善七らが設立した組合である。同組合は、バターの製造を手始めに、アイスクリーム、チーズ等の製造を展開し、北海道における酪農および生乳加工業の基礎確立に寄与した。
余市の大日本果汁は、「日本のウイスキーの父」と呼ばれる竹鶴政孝が、1934 年に創業した企業である。竹鶴は、スコットランド留学と寿屋(現:サントリー㈱)でのウイスキー製造の経験を踏まえ、蒸留所の場所として気候風土がスコットランドに似ている余市を選び、1936 年にウイスキー製造を開始した。以来70 年間、当時と同じ製法で良質なウイスキーを作り続けている。
このように、近代の北海道では、本土とは大きく異なる気候風土がゆえに、これに適合した新しい農業・食品加工技術の導入と厳しい経営条件の克服に向けた挑戦が行われた。これらの努力は、今日の農業・食品加工業として結実し、基幹産業として北海道の経済を支え続けている。

  • 7-a サッポロビール博物館(旧開拓使麦酒製造所)/北海道札幌市東区
  • 7-b エドウィン・ダン記念館(旧真駒内種畜場)/北海道札幌市南区
  • 7-c 札幌農学校第2農場 モデルバーン(模範家畜房)/北海道札幌市北区
  • 7-d 根室明治公園サイロ/北海道根室市
  • 7-e 北見ハッカ記念館/北海道北見市
  • 7-f ニッカウイスキー株式会社北海道工場/北海道余市郡余市町
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出典:経済産業省作成「近代化産業遺産群33」

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