HERITAGE OF MODEARNIZATION Story.10 京浜工業地帯の重工業化と地域の経済発展を支えた常磐地域の鉱工業の歩みを物語る近代化産業遺産群
常盤は従来からも鉱物資源が豊富な地域であったが、明治以降には、近代技術の導入と技術革新、企業統合による大規模経営などを通して増産が図られ、我が国有数の鉱工業地帯として大きく発展することとになった。また、京浜工業地帯に近いという利点を生かし、水戸・東京間が鉄道により繋がれた後は、京浜工業地帯への石炭や金属の供給源として我が国重工業の発展に大きく寄与した。炭鉱閉山に伴い大型レジャー施設の建設など新たな産業の創設へと踏み出したいわき市や日立鉱山の近代化を契機として発展した鉱工業都市・日立市などでは、常磐地域の今と昔に触れることができる。 このストーリーの近代化産業遺産例
現在の茨城県北部から福島県浜通地方は、古くは中世から赤沢銅山(後の日立鉱山)や八茎鉱山で鉱物の採掘が行われており、また、幕末には石炭が発見されるなど、鉱物資源が豊富な地域であった。近代を迎えると、この地域の鉱山・炭鉱は、新たな経営者によって技術革新による増産が図られ、大きく発展することとなった。
赤沢銅山は、小坂鉱山を立て直した久原房之助により1905 年に買収され、「日立鉱山」と改名後、近代化が推し進められた。非鉄金属業界では時期的に後発であったが、新たに竪坑を開削し、当初から鑿岩機による採掘に取組み、中里発電所等の建設や、1907 年にはシュラム式試錐機による金属鉱山として日本最初のボーリングに成功するなど、近代化を急速に推し進めた。このような取組みにより、大正初期には銅の産出量が足尾鉱山、小坂鉱山に次ぎ第3位に躍進した。
また、日立鉱山で電気機械の修理を担当した工作課長の小平浪平は、外国製品の修理のかたわら故障原因や製作方法の研究を進め、1910 年には、初の国産モーターである5 馬力電動機3 台を製作した。
これを鉱山で試用してみると非常に良好に稼働したため、続いて200 馬力電動機も製作した。これに自信を得た小平は、1920 年に日立鉱山から分離独立し、㈱日立製作所を創業した。
このような技術革新の一方で、他の鉱山と同様に、銅の精錬過程で発生する亜硫酸ガスによる煙害が社会問題となった。当時は、ガス濃度を下げかつ低い煙突で煙害をできる限り狭い範囲に限定するという考えが常識であったが、十分な効果を得られなかった。そこで、久原は、気球を使った高層気象観測などにより、高い煙突が排煙の希釈に効果的であることを確認した後、1914 年に標高325mの山上に当時世界一を誇った高さ155.7mの大煙突を建設し排煙の拡散を行った。この試みは効を奏し、周辺地への煙害が大きく低減された。さらに久原は、公害対策だけにとどまらず、地域住民との共存共栄や従業員の福利厚生の充実にも目を向け、大島桜などの植樹、学校・病院・社宅・娯楽施設の建設なども行った。当時の劇場「共楽館」は、今日も武道館として往時の姿を伝えている。
このような技術面、社会面からの取組みの成果として、日立の鉱工業と地域は大きな発展を遂げ、工場や社宅、その他関連施設が宮田川に沿って下流に拡大していった。
他方、現在の茨城県日立市から福島県双葉郡富岡町にかけて存在した常磐炭田(南北約95km、東西約5~25km)は、石狩炭田、筑豊炭田に次ぐ規模を有し、石炭埋蔵量は本州最大を誇った。幕末より地元資本による小規模な鉱山経営がなされていたが、1884 年(明治17 年)、渋沢栄一・浅野総一郎・大倉喜八郎らが磐城炭坑社(後に磐城炭鉱㈱と改称)を設立し、大資本による炭鉱経営が始まった。1887年には馬車鉄道を敷設し、1889 年には蒸気巻揚機、コルニッシュ気罐、排水機を使用し斜坑開削に着手するなど、設備の近代化を図り、炭鉱経営を軌道に乗せた。
これよりやや遅れて、川崎八右衛門を中心とする京浜資本が内郷地区に進出し、入山採炭㈱を設立した。同社は、1944 年に前述の磐城炭砿㈱と合併し、常磐炭砿㈱(現:常磐興産㈱)が設立され、本州東部地区最大の炭鉱となった。
このように、常磐炭田では、明治期以降に相次いで外部の資本が参入し、近代技術の導入や企業統合を経て大規模な鉱山経営が支配的となり。石炭の大幅な増産を果たした。
常磐炭田の北側に位置する八茎鉱山は、1908 年に八茎鉱山合資会社が設立されて以降、近代技術の導入が進められた。主に銅鉱石及びタングステンの材料である灰重石の採掘が行われていたが、第一次世界大戦後の不景気で操業を中止した。これ以降は、経営者を変えつつ、今日まで石灰石の採掘が行われている。
これらの鉱山は、京浜工業地帯に近いという利点を生かし、水戸~東京間が鉄道(日本鉄道海岸線)により直結された後、石炭や金属の供給源として重工業の発展に大きく寄与した。また、日立鉱山の近代化を契機として今日の鉱工業都市・日立の礎が築かれたことや、常磐炭田の豊富な石炭が小名浜に東北地方有数の臨海工業地帯を形成させる契機となったことなど、地域経済発展の事例としても重要な存在となった。
- 閉山後の地域振興:観光業と近年の新たな展開福島県いわき市
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1950~60 年代にかけ、エネルギー革命の進行と採炭コストの増加、公害問題などにより、炭鉱を取り巻く社会経済状況は大変厳しいものとなった。そこで、常磐炭鉱㈱は事業の多角化を図り、常磐紙業㈱、常磐開発㈱などの系列会社を創設するとともに、1964 年常磐湯本温泉観光㈱(現:常盤興産㈱)を設立し観光業にも活路を求めた。
そして、かつては採炭の障害であった温泉を利用する大型レジャー施設として、「常磐ハワイアンセンター(現:スパリゾート・ハワイアンズ)」を建設し、東北地方に常夏の「常磐ハワイ」を出現させて人気を博し、多くの観光客を集めた。これは、温泉を活用したテーマパークの先駆け的存在であった。
閉山後、炭鉱従事者の雇用主として、常磐炭田と関連が深い日立製作所㈱をはじめ、常磐工業地域が存在したことが大きいものの、観光業により地域の存続を成し遂げた国内では希有な例といえる。石炭業縮小期におけるこのような様子は、2006 年公開の映画「フラガール」により伺うことができる。
一方、近年では、「スパリゾート・ハワイアンズ」という拠点集中型の観光だけではなく、地元の団体である「いわきヘリテージツーリズム協議会」が、「いわきヘリテージ実験ツーリズム」として地域内の炭鉱遺産を巡る観光を企画・実施するなど、近代化産業遺産にスポットを当てる地域内回遊・学習交流型の新たな観光も模索されている。
- 10-a 八茎鉱山跡/福島県いわき市
- 10-b 古河好間炭鉱専用鉄道橋梁/福島県いわき市
- 10-c 常磐炭礦炭住群/茨城県北茨城市
- 10-d 大型コンプレッサー(日鉱記念館鉱山資料館所蔵)/茨城県日立市
- 10-e 日立製作所(株)創業小屋/茨城県日立市
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出典:経済産業省作成「近代化産業遺産群33」
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