HERITAGE OF MODEARNIZATION Story.11 新潟など関東甲信越地域で始まった我が国近代石油産業の歩みを物語る近代化産業遺産群
明治以降の油田開発は、新政府によるアメリカ人ベンジャミン・ライマンへの地質調査依頼に端を発し、その後、民間事業者による油田開発の活発化や静岡県、新潟県での石油事業の開始へと展開していった。新潟県や秋田県の石油事業では、掘削や精製の機械化や新たな掘削法の採用などが行われ、我が国の近代石油産業は次第に確立されていく。こうして、石油生産量は大正期にピークを迎え、当時の我が国石油需要の半分以上を賄った時期もあった。 このストーリーの近代化産業遺産例
石油の利用は古く縄文時代にさかのぼり、縄文中期~晩期の遺跡からアスファルトで接着補修が行われた土器が発見されている。また、「日本書紀」には越の国から「もえる水」が献上されたと記されている。さらに12 世紀頃になると石油は「草生水(くそうず)」と呼ばれるようになり、16 世紀後半の元亀・天正年間には越後で生業として石油の採掘が始められた。そして、明治時代に入ると、文明開化とともにランプが普及し、これを灯すための石油の自給に向けた動きが始まった。
明治政府は、アメリカ人のベンジャミン・スミス・ライマンに我が国の石油地質の調査を依頼した。
ライマンは1873 年に北海道に渡り、1876 年から越後・信濃方面の調査、1878 年に秋田県地方の調査を行い、1890 年にこれを完了し、翌年に帰国した。また、明治初期には、民間による石油開発の動きも活発化した。石坂周造は、1871 年に「長野石炭油会社」を設立して石油事業に乗り出し、1873 年には静岡県牧之原市の相良でアメリカから輸入した綱掘り式掘削機械で石油を湧出させた。続いて、新潟県の新津では、中野貫一が1874 年頃から石油事業を始め、1894 年には上総掘り、1903 年には綱掘り式掘削機械を導入して金津油田の開発に成功し、石油王と呼ばれた。
これらによって先鞭を付けられた我が国の石油開発は、これらに遅れて新潟県内で設立された日本石油会社と宝田(ほうでん)石油㈱が、掘削や精製などの中心工程を機械化したことが転機となり、全国的市場において外国油に対する競争力を獲得し、我が国の近代石油産業が確立していくこととなった。
日本石油会社は、1888 年に内藤久寛と山口権三郎が設立した会社であり、アメリカから買い入れた新式の綱掘り式掘削機械で新潟県出雲崎町の尼瀬海岸に油井を掘りあげ、以後、周辺地域で次々と油井を掘り進めた。この一帯は、後述する東山油田に対して「西山油田」と呼ばれるようになった。また、日本石油会社は、西山油田と柏崎をパイプラインで結び、柏崎に精油所を建設するとともに、国産の掘削機械や精製の機械器具を製作するために鉄工所を創設し、我が国の近代石油産業の始まりといえる存在へと成長した。
一方、新潟県長岡市の北東から南西に走る東山油田の開発を行っていた山田又七は、1893 年に宝田石油㈱を設立し、他の会社や組合に呼びかけ合併し、日本石油と並ぶ規模の会社とした。なお、両者は1921 年に合併し、我が国の石油業界をリードしていった(現:新日本石油㈱)。
その後もさらなる技術導入が進められ、1902 年には、新潟県刈羽村の小黒須にアメリカ人の技師を招き、我が国最初のロータリー式掘削法が試みられた。この当時、綱掘り式で掘れる程度の浅い油層は掘り尽くされていたが、より深層の掘削が可能なロータリー式掘削法の導入により、我が国の原油生産額は再び増え始めた。このロータリー式掘削法の普及や綱掘り式掘削機の改良によって、それまでほぼ新潟県に限られていた石油開発事業が広がりを見せ、秋田県でも大規模な油田開発が始まった。
現在の秋田市に位置し、1914 年に日本石油会社が掘り当てた黒川油田のロータリー式5号井は、大自噴を巻き起こして注目を集め、秋田県内で大規模な油田開発が行われる契機となった。そして、これに続いて、同じく現在の秋田市内に位置する八橋油田や、県南部の現在のにかほ市に位置する院内油田等が相次いで開発され、秋田県の原油生産額は新潟県を超えることとなった。
こうして我が国の石油生産量は大正期にピークを迎え、当時の石油需要の半分以上を賄うほどになった。当初、石油の利用は主にランプ用であったが、電灯の普及に伴いその需要が減少し、それに変わって内燃機関の発達により燃料としての需要が高まり、「石油の一滴は血の一滴」と呼ばれるほど重要な国家戦略物資となった。また、石油採掘・精製技術の近代化とともに、関連産業である鉄工業や硫酸製造業、電力業などが同時発展を遂げ、石油産業は多様な産業と結びつき地域の産業構造を変化・発展させていった。さらに、昭和に入ると、電力需要の増大に対応するための発電用燃料として使用されるとともに、石油及び天然ガスは化学工業による様々な製品の原材料となっていった。
一方、これらの灯火や燃料としての石油利用とは別に、1877 年の第一回内国勧業博覧会で、秋田県から土瀝青(天然アスファルト)が出品されて広く紹介されたことが契機となり、我が国でも道路の舗装材や防水・防湿のための建設素材としてアスファルトの利用が始まった。明治期には、現在の秋田県潟上市に位置する豊川油田で天然アスファルトが採掘されていたが、大正期以降は、現在のように原油の精製によってえられる石油系アスファルトが利用されるようになった。
現在では、石油関連産業を支える原油と天然ガスのほとんどを輸入に依存しているが、新潟県や秋田県では現役の油田が稼働しており、北海道の油田と合わせて国内需要の0.4%の量を供給している。
- 11-a1 豊川油田コンプレッサー/秋田県潟上市
- 11-a2 豊川油田ナショナル式ポンピングパワーユニット/秋田県潟上市
- 11-a3 豊川油田採油井の坑口装置/秋田県潟上市
- 11-a4 豊川油田檜/秋田県潟上市
- 11-b 金津油田(石油の里公園)/新潟県新潟市秋葉区
- 11-c 相良油田石油坑/静岡県牧之原市
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出典:経済産業省作成「近代化産業遺産群33」
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