HERITAGE OF MODEARNIZATION Story.12 銅輸出などによる近代化への貢献と公害対策への取組みに見る足尾銅山の歩みを物語る近代化産業遺産群
足尾銅山は、古河の経営の下、発展を遂げ、最新の機械設備と近代技術を習得した技術者の導入、鉱山の電力化と近代的製錬技術の導入、鉄道などの敷設による運搬力の向上などにより、鋳銭から電線等への銅需要の変化にも対応した高品質な銅の製造と生産性の向上を達成し、それに伴い、足尾には企業を中心とした地域社会が形成されていった。他方、そのような中で、亜硫酸ガスや重金属の粉塵による山林の枯死や重金属を含んだ酸性廃水による水質と土壌の汚染などの公害の発生も大きな社会問題へと発展し、公害対策への取組みも開始された。足尾では、残された数々の遺産を通し、足尾銅山の発展に関わる正と負両面の記憶、足尾鉱毒事件の歴史と今や海外でも活かされている足尾の公害対策の事績などに触れることができる。 このストーリーの近代化産業遺産例
足尾銅山は幕府直営銅山として1600 年代には年間最高1,500 トンを記録したが、その後は漸次産銅量が減少し、1800 年には廃鉱同然となっていた。しかし、1871 年に民業許可によって再開され、1877年に古河市兵衛の経営になると、1881 年の鷹の巣直利、1884 年の横間歩大直利の発見によって、産銅量が飛躍的に増大し、別子銅山を抜いて全国一の銅山となった。また、古河は1885 年に官営阿仁銅山の払下げを受け、政府が国策として外国から輸入した最新の機械設備と近代技術を習得した技術者を獲得することにより、それらを足尾銅山に導入して鉱山の技術水準を格段に向上させた。しかし、この時期に導入されたのは鑿岩機とダイナマイトによる掘削技術と蒸気式巻揚機による坑内廃水技術、及び竪坑・水平坑道の組織的開削による坑道の一本化であり、主に坑道開削能率の向上に留まっていた。
足尾銅山における本格的な近代化と技術革新は、その後の鉱山の電力化と近代的銅製錬技術の導入をもって始めて達成されることとなったが、それを可能としたのは1888 年にイギリスのジャーデン・マジソン商会との間で交わされた古河産銅の独占的買取契約を背景とした資本力の強化と生産力の増大に対する強い要請によるものであった。
鉱山の電力化に関しては、1890 年に我が国初期の水力発電所である間藤発電所を完成させ、電気ポンプと電気巻揚機を設置して廃水・鉱石巻揚げの効率化を図るとともに、本山終点と製錬所を結ぶ電気鉄道の敷設、細尾~地蔵坂間の架空索道の敷設、細尾~日光間の軽便馬車軌道の敷設による運搬の合理化を実現した。
また、製錬技術の近代化に関しては、従来の吹床溶練、真吹練銅、反射炉精銅という方式に代わり、水套式角型溶鉱炉練、酸性転炉練銅、電解精銅という新しい製錬方式が次々に導入され、鋳銭から電線等への銅需要の変化に対応した高品質の精銅(地金)の製造と生産性の飛躍的向上を可能にした。
足尾銅山における急激な技術の近代化と生産力の増大は、外部からの急激な人口の集積と流動をもたらし、古河鉱業という一企業が住民生活まで含めた公共的な役割を担うという、企業を中心とした特殊な地域社会を形成していった。また、一方では、製錬過程で発生する亜硫酸ガスや重金属の粉塵による煙害の発生により、上流部一帯の山林が枯死するとともに、採掘、選鉱、製錬の全過程から発生する重金属を含んだ酸性廃水による下流河川の水質汚染とその灌漑用水利用による農地の土壌汚染(鉱毒被害)をもたらすという公害問題を発生させることとなった。足尾銅山における公害問題の発生は「足尾銅山鉱毒事件」として、栃木県選出衆議院議員であった田中正造という社会運動家の出現と、銅輸出による外貨獲得と銅の軍需要の増大への対応を最優先するという国家政策との狭間で、その後の大きな社会問題へと発展していった。
古河は、政府が全国各地の鉱山に対して鉱毒予防施設の設置と改善を鉱山の操業認可条件とする「予防工事命令」を出したことを受け、公害対策に乗り出した。このうち、酸性廃水による水質汚染の防止に関するものについては、鉱滓や廃石の堆積場の設置、沈殿池の設置、坑内水・製錬所廃水、沈殿池からの放流水を石灰で中和する浄水場の設置などの対策が講じられ、その結果、廃水対策は一定の成果を得た。
一方、煙害対策については、当時建設された脱硫塔では排煙中の有害物質の除去が技術的に困難であったため、上流の松木村住民の立ち退きによる廃村と下流の谷中村の遊水地化及び渡良瀬川の大規模改修というかたちで対応せざるを得なかった。足尾銅山において有効な排煙脱硫装置を設置できたのは、戦後の1956 年まで待たなければならなかったが、その後、古河が独自の改良を加えて完成させた脱硫技術は、今日では世界中の鉱山で生かされている。
足尾銅山は1973 年に閉山し、銅生産の歴史も幕を閉じたが、坑内廃水の浄水処理は現在でも続けられており、煙害地の森林は、国、県、古河のみならず多くのボランティアの参加を得て行われた植林事業により徐々に回復しつつある。しかし、一部には積極的な植林を行うことなく荒廃した自然景観をそのままの状態で残しておく「観測監視区域」を設けるなど、我が国の公害問題の起点として、公害とその対策の歴史を将来に伝えるため、様々な取組が今なお継続されている。
- 12-a 足尾銅山 通洞選鉱所/栃木県日光市
- 12-b 足尾銅山 本山製錬所/栃木県日光市
- 12-c 古河掛水倶楽部/栃木県日光市
- 12-d 足尾銅山採鉱坑道/栃木県日光市
- 12-e 間藤水力発電所跡/栃木県日光市
- 12-f 間藤浄水場/栃木県日光市
- 12-g-1 旧足尾鉄道/栃木県日光市
- 12-g-2 古河橋/栃木県日光市
- このストーリーのすべての遺産を見る
出典:経済産業省作成「近代化産業遺産群33」
前のストーリーを見る ストーリーに戻る 次のストーリーを見る




















































