HERITAGE OF MODEARNIZATION Story.15 優れた生産体制等により支えられる両毛地域の絹織物業の歩みを物語る近代化産業遺産群
近代における両毛地域の絹織物産業の発展の背景には、先進的な技術の積極的導入とともに、それらの技術を支え、発展させた優れた組織や生産体制の存在があった。桐生においては、地域に集積している意匠、撚糸、染色、仕上げなどの各専門業者が多様な取引関係を構築することで、新たなデザインの絹織物を市場に迅速、柔軟に投入することを可能にする「柔軟な専門化」が達成された。また、足利では、先端技術等に関する情報の交換や技術研究、品質の管理などに取り組み、産業人のモラル向上にも寄与した「足利友愛義団」が青年経済人等によって結成され、幅広い範囲で絹織物産業の近代化が図られた。 このストーリーの近代化産業遺産例
1860 年代から1880 年代の桐生においては、絹織物業を中心とした問屋制が広範囲に展開した。桐生絹織物の問屋制は賃機をはじめ意匠、撚糸、染色、仕上げの各工程の小業者が織元等と賃業契約によって結ばれることによって成立しており、それにより多様な織物の柔軟な生産を支え、和装から洋装に移行しつつあった近代の我が国における既成衣料の大衆化の流れを作り出した。桐生市及び周辺部において大工場制ではなく問屋制組織が発展した背景としては、地元の織元等が技術進歩の要点を織布工程の効率化ではなく、デザインの多様化に求めた点にあった。すなわち、織元等は新たなデザインの織物を柔軟かつ迅速に市場に投入することにより利益を上げようとした。その結果として、地域に集積している業者同士が多様な取引関係を構築することで「柔軟な専門化」が達成され、他の地域では見られない両毛地域に特有の地域経済が発展した。
明治期の当地域の織物の特徴は、生糸が輸出に回されたことにより盛んになる絹綿交織物と輸出織物であった。これらを支えた技術的進歩はバッタンとジャカードの採用である。1877 年に森山芳平が内国勧業博覧会に出品されたジャカード機を初めて桐生に導入し紋織試作に努めた。1880 年代後半よりジャカードが地元で製作されるようになると、一般に採用され、1900 年頃にはかなり繊細な柄まで織り出すことが可能となった。1907 年に渡良瀬水力電気㈱発電所が竣工し、桐生や足利に送電を開始すると、これを契機に手織機から電気動力を利用する力織機への転換が徐々に始まり、桐生の金芳織物工場、足利織物㈱工場(現:トチセン㈱)など、力織機導入に適したノコギリ屋根を有する工場が多数建築されていった。
なお、前述のように多品種少量生産を特徴とする産地である当地では、共同企業的な大機業は生まれづらく、これが当地における小規模ノコギリ屋根工場が多く建築された理由と考えられる。
他方、桐生・足利には機械制の大工場も少数ながら存在し、小規模機屋の委託生産に応じるなど共存が図られてきた。1890 年に設立された日本織物会社は、渡良瀬川から引いた水路で自家発電を行い撚糸・製織・染色など、洋式機械による一貫した織物生産を開始した。また、1902 年から1903 年にかけて農商務省の殖産興業施策によりそれぞれ、模範工場桐生撚糸合資会社(現:桐生市近代化遺産絹撚記念館)、足利模範撚糸工場が設立され、撚糸過程の近代化が図られた。
当地ではその後、大正末期から始まる不況を打開するため、機械制工場化が一層すすみ、安価に大量の人絹交織物を生産することにより不況・恐慌時代を乗り切っていった。
また、足利においては1892 年に情報の交換による知識向上や同士の団結を理念とした「足利友愛義団」が織物産業等の青年経済人らにより設立された。友愛義団は先端技術の研修や講演会の開催など、織物技術の研究にまい進するとともに、不正な商品の輸出といった道徳的退廃を厳しく諫め、品質の安定に取組むなど、産業人のモラル向上にも精力を注いだ。これらの精神風土は友愛義団に結集した人々を軸として、社会改良運動のリーダー層を輩出し、両毛鉄道、栃木県工業学校や足利銀行などの産業インフラが次々と整備され、幅広い分野での近代化が図られた。
このように、近代における両毛地域の絹織物産業の発展の背景には、先進的な技術の積極的導入とともに、それらの技術を支え、発展させる組織や生産体制の有り様が大きく関与しているものと考えられる。
- 繊維産業の近代化とノコギリ屋根工場全国各地
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ノコギリ屋根はもともと産業革命期のイギリスの繊維工場・染色工場が源流と言われる。主に、北側からの安定した採光により仕上がりを確認することを重視した構造となっている。その他、構造が単純で建設や維持管理の効率がよい、織機の重量と振動に耐えることが出来る等の理由で普及したと考えられる。我が国では、官営工場では千住製絨所、民間工場では大阪紡績所がルーツと言われており、紡績業や絹・綿・毛織物など繊維関連工場に広く普及した。そして、繊維産業が日本を代表する輸出産業に成長したこともあり、工場と言えば「ノコギリ屋根」というイメージが定着した。
桐生・足利はこうしたノコギリ屋根工場が数多く残されている地域として有名であり、桐生市には2004年12 月現在で約200 棟以上が現存する。この他にも、ストーリー29 で取り上げている西日本の大規模な綿紡績・綿織物工場から、兵庫県西脇市(綿織物)、埼玉県秩父市(絹織物)、京都府与謝野町(絹織物)などの在来産地から発展を遂げた地域まで、全国各地に個性的なノコギリ屋根工場が現存している。
- 足利地域の近代化を支えた足利銀行栃木県足利市
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明治期の足利においては、「足利友愛義団」に結集した若者達を中心に鉄道、流通、金融、学校等、近代化のための礎石が次々と準備された。足利銀行は1895 年に「友愛義団」の設立発起人の一人である、荻野万太郎(当時23 歳)を初代頭取として、繊維業者が中心となり創設された。以後、地元密着・堅実経営を旨に足利を中心とする両毛地域を基盤として、当地の繊維産業等の発展を支えてきた。
足利銀行発祥の地である旧本店建物は、現在「友愛会館」として地元商工会議所の事務所となっており、また金庫室を改修しギャラリーとして活用するなど、地元産業や歴史・文化の学習や市民等の交流拠点として多くの来訪者を迎えている。
- 15-a 群馬大学工学部同窓記念会館/群馬県桐生市
- 15-b 無鄰館/群馬県桐生市
- 15-c 桐生織物記念館/群馬県桐生市
- 15-d 鉄製ジャカード織機(国立科学博物館所蔵 )/東京都台東区
- 15-e(株)トチセン(旧足利織物(株)/旧明治紡績(株))/栃木県足利市
- 15-f アンタレススポーツクラブ(旧足利模範撚糸合資会社)/栃木県足利市
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出典:経済産業省作成「近代化産業遺産群33」
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