HERITAGE OF MODEARNIZATION Story.19 近代技術による増産を達成し我が国近代化に貢献した佐渡、鯛生両鉱山の歩みを物語る近代化産業遺産群

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近代化のために必要な外貨獲得と貨幣材料確保のため、明治政府は、金銀の増産を目指した。16世紀末期から我が国最大の貴金属鉱山であった佐渡鉱山は、幕末に至り、旧来の経営や技術力では事業の限界に達していたが、官営化と外国人技術者の招聘、最新鋭鉱山技術の導入などにより近代的鉱山として再生した。この間、鉱山技術の国産化が進展するとともに、佐渡に実地研究に訪れる者が多くなり、鉱山学校も開設され、佐渡鉱山は鉱業教育の面でも大きな役割を果たした。また、大分県の鯛生では、外国の採鉱・冶金学の専門家の下、他に類を見ないような近代設備が導入され、昭和期には、金の産出量で佐渡を上回る我が国第一の金山となった。さらに、他鉱山の技術者の鯛生金山視察も盛んに行われ、鯛生金山は我が国鉱業技術の進歩に大きく貢献した。 このストーリーの近代化産業遺産例

開国に伴い海外との貿易が大きく拡大する一方で、欧米諸国との通商条約は関税自主権を放棄するという極めて不平等な内容であったため、金が海外に流出し、物価高騰を招いた。明治政府は、このような経済混乱を抑制するとともに、近代化のために必要な外貨獲得と貨幣材料の確保を図るため、金銀の増産を目指した。
16 世紀末期から我が国最大の貴金属鉱山であった佐渡鉱山は、幕末に至って旧来の経営・技術では事業の限界に達していた。そこで新政府は、1869 年に佐渡鉱山の官営化を決定し、英国人技術者を相次いで送り込み、その指導のもとで近代化に着手した。1877 年には、洋式技術を用いた選鉱所と大立竪坑が竣工し、これを契機として在来坑道を利用した垂直竪坑も複数開削された。大立竪坑は我が国の金属鉱山では初めての洋式竪坑であり、また構内作業では工部省赤羽工作局で製作された国産鑿岩機がいち早く導入されるなど、当時の最新鉱山技術が相次いで導入された。
1881 年に松方正義が大蔵卿に就任すると、銀本位制(長期的には金本位制)に基づく近代貨幣制度への移行を目指して、貨幣地金の確保のために佐渡鉱山と生野鉱山を、外貨獲得のために三池炭鉱を、大蔵省の所管とした。そして、佐渡鉱山のさらなる増産を図るために、1885 年に当時我が国鉱業界の最高権威者であった大島高任が局長に就任した。大島は鉱山改革に乗り出し、ドイツ留学から帰国した帝国大学教授渡辺渡を迎え(後に大島の後任として局長に就任)、高任坑の開削、ドイツ式の新技術による選鉱場の建設、大間港の整備等を次々と手がけた。また、このような近代化の進展とともに、鉱山技術の国産化も徐々に進展した。例えば、1890 年に運転が開始された高任選鉱場の機械類のうち中核部分はドイツ製であったが、それ以外は鉱山機械工場で製作できるようになっていた。この頃、佐渡鉱山には鉱山の実地研究を志望する者が多く来訪した。1890 年には朝鮮からの留学生3 名を含め、実習生の数は20 名を超えた。また、この年には鉱山学校も開設され、鉱業教育の面でも大きな役割を果たした。
鉱山は1896 年に三菱に払い下げられた後も、動力の電化などにより近代化がさらに進展し、明治後期には年間産金量400kg を超える産出量を記録し、さらに昭和初期の戦時増産体制のもとでは年間産金量が800kg を上回ったこともあった。
一方、佐渡鉱山のほかにも、民間による金鉱の探索が各地で行われ、1894 年に金が発見された九州の鯛生では、1918 年から英国人ハンス・ハンターが経営権を握り近代化に着手した。彼はイギリス鉱山教育の最高学府であった王立鉱山学校を卒業した採鉱・冶金学の専門家であり、当時では他に類を見ないような近代設備を導入し、金の産出量を増大させた。このため、各社技術者による鯛生視察が盛んとなり、我が国の鉱業技術の進歩にも大きく貢献した。鯛生金山はハンターが経営から離れた後も富鉱脈が発見され、1938 年には年間産金量2.3tを記録し、佐渡鉱山を上回る我が国第一の金山となった。
我が国の貨幣制度は、1897 年に日清戦争の賠償金をもとに金本位制へと移行し、さらに世界恐慌の影響で大正期には管理通貨制度となるが、そのような状況下で、正貨としての又は対外債務支払いのための金の重要性は依然として高く、佐渡鉱山や鯛生金山の近代化による増産は、我が国の経済の安定を支えることに大きく貢献した。

  • 19-a 佐渡鉱山大立竪坑櫓/新潟県佐渡市
  • 19-b 佐渡鉱山 トラス橋/新潟県佐渡市
  • 19-c 佐渡鉱山 道遊坑/新潟県佐渡市
  • 19-d 佐渡鉱山 戸地川第二発電所/新潟県佐渡市
  • 19-e 鯛生金山坑道/大分県日田市
  • 19-f 鯛生金山製錬所跡/大分県日田市
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出典:経済産業省作成「近代化産業遺産群33」

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