HERITAGE OF MODEARNIZATION Story.20 近畿の経済や中部のモノづくりを支えた中部山岳地域の電源開発の歩みを物語る近代化産業遺産群
第一次世界大戦が始まり、工業生産が拡大すると、各地で電力不足が発生するようになった。当時、火力発電の燃料である石炭の価格が高騰していたこともあり、水力発電所の建設に関心が高まる。このような中、産業需要をまかなえる大出力の水力発電所の適地として、中部山岳地域の河川に注目が集まった。中部山岳地域での水力発電所の建設は、急峻な山岳地帯を舞台とした企業家達の幾多の挑戦を経て達成されたが、これにより、中部地方や近畿地方へ大量の電力供給が実現、両地方における、繊維産業や機械工業等の発展、製鋼業や化学工業といった新たな産業の創出などが促されていく。 このストーリーの近代化産業遺産例
電気が産業用として本格的に用いられるようになったのは、重工業が発展しだした明治後期からであった。大正期に入り第一次世界大戦が始まると、工業生産の拡大が電力不足を引き起こすようになり、火力発電の燃料であった石炭の価格が高騰していたこともあり、水力発電に注目が集まった。その中で、産業需要をまかなえる大出力の水力発電所の適地として、急峻な中部山岳の河川に注目が集まり、山間部に次々と発電所が建設された。その後、第一次世界大戦が終わると一転して不況を迎え、電力不況により水力開発も下火になりかけたが、需要の大きい近畿地方への送電を前提とした電源開発や、余剰電力を活用した製鋼業や化学工業の創設によりこれを乗り越えた。
太平洋に流れ込む木曽三川(長良川・木曽川・揖斐川)は、電力消費を見込める名古屋に比較的近かったこともあり、早くから大規模な水力発電所の建設が始まった。旧士族たちが設立した名古屋電燈は、名古屋市周辺地域への送電を目的として1910 年に長良川発電所を建設した。この事業は、中部地方における大規模水力発電と長距離送電の先駆となった。
このような水力発電・送電事業の将来性に着目した福沢桃介は、長良川に続いて木曽川で八百津発電所を建設していた名古屋電灯の株を買い取り、経営権を握って自ら水力開発に乗り出した。福沢は木曽川上流の大規模水力開発を計画し、水利権をまとめて掌握して次々と発電所を建設した。そして1924年には、我が国初の本格的なダム式発電所である大井発電所を完成させ、電力が不足していた関西地方への送電を開始した。また、余剰電力を活用した事業として名古屋に電気を用いた電気製鋼所(現:大同特殊鋼㈱)を設立した。
木曽三川の残る一つである揖斐川では、上記と並行した動きとして、明治期まで度重なる水害に悩まされていた大垣の再生を図るため、水力開発と電力を活用した企業誘致が計画され、1912 年には揖斐川電力(現:イビデン㈱)が設立された。揖斐川電力は東横山発電所などを建設し、大垣の企業に送電を行うとともに、自ら余剰電力を用いた化学工業を創業した。
一方、日本海側では、1904 年に信濃川上流部に宮城第一発電所が建設され、ここで発電した電気を利用して我が国初の電気製鋼が行われるなど、明治末期から小規模な水力発電所の建設は各地で行われていたが、大規模な水力開発は太平洋側よりやや遅れ、大正後期になって本格化した。
黒部川では、1918 年に化学者・実業家の高峰譲吉が我が国初のアルミ関連産業の起業を構想し、そのための水力開発を目指して調査を始めたが、経済不況と高峰の死により頓挫した。その後、事業主体は日本電力の手に移り、関西方面への電力供給を主目的とした開発へと転換した。そして、険しい山間部に発電所を建設するためのアクセス手段として、まず工事用軌道(現:黒部峡谷鉄道)及び調査用登山道(現:日電歩道)が建設され、難工事の末、1927 年に、黒部峡谷最初の発電所である柳河原発電所の運転が開始された。その後も、戦時体制の電力需要を支えるために、黒部川を遡って愛本発電所、黒部川第二発電所・第三発電所が建設された。
庄川では、セメント産業などを手がけた実業家の浅野総一郎が、故郷である富山県の産業振興を目指して1919 年に庄川水力電気㈱を設立して水力開発に着手し、困難な大工事の末、1930 年に当時東洋一と言われた小牧ダムを完成させ発電を開始した。また、これと並行して前述の福沢桃介も庄川の水力開発に乗りだし、1926 年には福沢の支援を得た大白川電力が平瀬発電所を完成させ、続いて1919 年には福沢自身が設立した昭和電力により祖山発電所が完成した。
このように、急峻な中部山岳を舞台とした企業家たちの挑戦の成果として、中部地方や関西地方への大量の電力供給が実現し、これらの地域における繊維産業や機械工業等の電化による発展や、製鋼業・化学工業等の新たな重化学工業の創出を促し、我が国の産業発展に大きく寄与した。
なお、近代に中部山岳に建設された水力発電所のうち、木曽川・黒部川・庄川の発電所は、戦後の電力会社再編の際に、これらで発電された電気が戦前から主に関西方面に送電されていたことを踏まえて関西電力の所有となり、今日も近畿地方への送電が行われている。また、揖斐川・長良川・信濃川上流部の発電所は、中部電力またはイビデンの所有となり、今なお中部地方のモノづくりや生活を支え続けている。
- 「富山の薬売り」が育んだ産業の近代化富山県
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富山と言えば昔も今も「薬」が有名である。約300 年前に始まったと言われる富山の製薬・売薬は、「先用後利」(常備薬のセットを得意先に預けておき、使った分の代金を後で受け取る)という配置販売システムで爆発的な人気を呼んだ。当時、領外からの現金収入がある藩はほとんどなかったが、富山藩では、幕末には売薬商人が毎年約20 万両の外貨を藩内に持ち帰っていたと言われる。このようにして蓄積された売薬業者たちの資本によって、明治以降に富山で電力業や金融業などの近代産業が次々と創業された。
初期の黒部川電源開発は、アドレナリンの抽出や消化酵素ジアスターゼの発見で世界的に知られる高岡出身の化学者・高峰譲吉が中心となり、製薬業者など富山の財界人の支援で推進された事業であった。また、高峰自身も、代々医者の家系であり、製薬会社・三共の創業者の一人でもあるなど、製薬業との関わりが非常に深い人物であった。このように、壮大な事業の影には「富山の薬売り」による富の蓄積があった。
- 20-a 黒部川第二発電所/富山県黒部市
- 20-b 小牧ダム/富山県砺波市
- 20-c 平瀬発電所/岐阜県大野郡白川村
- 20-d 桃介橋/長野県木曽郡南木曽町
- 20-e 読書発電所/長野県木曽郡南木曽町
- 20-f 単相1.5tエルー式電気炉(大同特殊鋼(株)所蔵)/愛知県東海市
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出典:経済産業省作成「近代化産業遺産群33」
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