HERITAGE OF MODEARNIZATION Story.25 我が国鉱業近代化のモデルとなった生野鉱山などにおける鉱業の歩みを物語る近代化産業遺産群

鉱山再生

江戸末期、日本の非鉄金属鉱山業は、それまで実施されてきた経営手法の行き詰まりなどにより、一部の鉱山を除き不振・停滞が甚だしい状況にあった。明治政府は、この不振、停滞を打開するため、主要な鉱山を官営鉱山とし、外国人技術者の招聘による鉱業の近代化を図ることとした。このような中、生野鉱山は、最初の官営鉱山として、フランス人技術者の下、綿密な調査、火薬による採掘、運搬・廃水の機械化、通気・照明の改善などが行われ、他鉱山からの留学生受入れなどにより近代鉱山技術の普及に大きな役割を果たすまでの模範的近代鉱山へと再生を遂げていく。 このストーリーの近代化産業遺産例

江戸時代末期、我が国の鉱山業、特に非鉄金属鉱山は、それまで実施されてきた山師・金名子等による請負制度を基本とした経営手法の行き詰まり等により、一部の鉱山を除き不振・停滞が甚だしい状況にあった。明治政府は、このような不振・停滞を打開するため、主要な鉱山を官営鉱山とし外国人技術者による鉱山業の近代化を図ることとした。
1868 年、政府は生野鉱山にフランス人技術者ジャン・フランソワ・コワニエを派遣し、我が国最初の官営鉱山として鉱山施設の近代化を図った。コワニエは、着任当初は新たな銅鉱開発を優先することを考えていた。しかし、山内の試料分析を行ったところ、それまで鉱滓として廃棄されていたものや、劣位品とされていたものに金が含有されていることが分かったため、新たな銅鉱の開発ではなく、旧来の太盛山で金銀の増産を図る計画を立案した。具体的な作業の面では、坑内の掘削方法を、明治以前の採掘法である鎚と鏨による「タヌキ掘り」から、我が国初の本格的な火薬による採掘(発破法)に変更し、採掘効率を大幅に高めた。また、これと並行して運搬や排水の機械化、通気や照明の改善を行った。
また、「鉱山伝習学校」の設立による日本人技術者の育成や、別子銅山の支配人広瀬宰平を始めとする他鉱山からの留学を受け入れるなど、近代鉱山技術の普及にも大きな役割を果たした。
産出された銀・銅の搬出、諸物資の搬出入の輸送については、生野鉱山から飾磨港までの全長約49キロの馬車道(生野鉱山寮馬車道 通称:銀の馬車道)を1876 年に整備した(全線開通)。馬車道の建設工事にあたっては、フランス人技師レオン・シスレーの監督のもと、当時としては最新技術であったマカダム式道路を採用した。本道路は我が国初の高速産業道路である。
こうして、1876 年、工場建設や機械設備がおおよそ整い、機械落成式が工部卿伊藤博文らを招いて開かれた。
生野鉱山の主要な鉱床であった太盛山の産出が減少しはじめた頃、それに代わる鉱山として神子畑鉱山での採掘が始まった。神子畑鉱山で採掘された鉱石は山元で選鉱され、その後、生野に運ばれて製錬されていたが、1885 年に鉱石の運搬のために神子畑~生野鉱山間に専用道路が敷設された(完工)。この道路には5 箇所に鉄橋が架けられ、このうち鋳鉄製の2 橋(神子畑鋳鉄橋、羽淵鋳鉄橋)が現存している。
神子畑鉱山は1891~93 年頃が最盛期で、神子畑鉱山の衰退期に入った1900 年より、明治以降操業が行われていなかった明延鉱山の再開発が着手され、1905 年より本格操業に入った。1908 年にタング ステン、1909 年に錫石の発見により「日本一の錫の鉱山」として発展し、さらに1919 年には明延鉱山の選鉱施設として神子畑に巨大選鉱場が建設され「東洋一の選鉱場」と称されることとなった。
これらの鉱山は、1889 年に宮内庁御料局の所管となり、1896 年には三菱合資会社に払い下げられた。
1973 年に生野鉱山が、1987 年に明延鉱山が閉山し、神子畑選鉱場も操業を停止するまで、これらの鉱山は高度経済成長の一翼を担うなど、我が国の発展に大きく貢献した。
一方、大阪近郊に位置する多田銀銅山も中世以来の歴史を持つ鉱山であり、明治以降、近代化が進められた。島根の鉱山家らにより採掘が行われ、昭和になってからは、日本鉱業㈱が採掘を行ったが、1973年に閉山となり、その歴史に幕を下ろした。

  • 25-a 生野鉱山関連施設群(太盛築)/兵庫県起来市、養父市
  • 25-b 神子畑鋳鉄橋/兵庫県朝来市、養父市
  • 25-c 神子畑鉱山事務舎・ムーセ旧居/兵庫県朝来市、養父市
  • 25-d 明神電車と蓄電池機関車/兵庫県朝来市、養父市
  • 25-e 生野鉱山寮馬車道(通称「銀の馬車道」)/兵庫県姫路市、神埼郡福崎町・市川町・神河町、朝来市
  • 25-f 多田銀銅山/兵庫県川辺郡猪名川町
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出典:経済産業省作成「近代化産業遺産群33」

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