HERITAGE OF MODEARNIZATION Story.26 『軽工業から重工業へ・河岸部から臨海部へ』阪神工業地帯発展の歩みを物語る近代化産業遺産群
大阪及び周辺地域の工業化は、当初は紡績業などの軽工業が中心で、工場は主に現在の大阪市内の淀川沿岸部に立地していた。しかし、第一次世界大戦の軍需と戦後の好景気を背景として工場の大規模化や重工業化が進むと、海運や広大な敷地の確保が可能な、現在の大阪市西部から尼崎市にかけての臨海部へと工場が進出し、鉄鋼、石油、電力を主とする大規模な臨界工業地帯・阪神工業地帯が形成されていった。阪神工業地帯は、大正から戦前にかけては京浜工業地帯を上回る我が国最大の工業地帯となり、我が国の産業近代化の原動力として大きな役割を果たしていく。 このストーリーの近代化産業遺産例
大阪及び周辺地域の工業化は、当初は紡績業などの軽工業が中心であり、工場は主に現在の大阪市内の淀川沿岸部に立地していた。しかし、第一次世界大戦の軍需と戦後の好景気を背景として工場の大規模化や重工業化が進むと、海運や広大な敷地確保が可能な現在の大阪市西部から尼崎市にかけての臨海部へと工場が進出し、大規模な臨海工業地帯が形成されていった。
尼崎地域における本格的な近代工業は、1890 年頃から尼崎紡績㈱(現:ユニチカ㈱)に代表される紡績工場が中心となって始まった。近世以来、尼崎地域は綿をはじめとする商品作物の生産が盛んであったため、紡績工場が設立された当初の目的は、良質の綿花を利用することであった。しかし、実際には安価な外国産の綿花が原料として使用され、商品作物を中心とした農業は明治の半ばから徐々に衰退し、工業化が進むこととなった。1894 年に真島製紙所(現:王子製紙㈱)が創立し、1909 年には板ガラスの国産化を目的に設立された旭硝子㈱が最初の工場である尼崎工場の操業を開始し、1910 年には我が国初の石鹸工場として日本リバーブラザーズ社(現:日本油脂㈱)の石鹸工場が設立された。また、1905 年に大阪-神戸間に開通した阪神電気鉄道㈱は、1908 年から沿線での電力供給を始めた。旧尼崎市街から離れたところを通っていた官設鉄道に対して、同電鉄は市街地を貫通していたため、その後の
尼崎地域の発展に多大な効果をもたらしたといえる。
大正時代には、第一次世界大戦を背景として、阪神工業地帯の工業構成は機械器具・金属および化学工業の比率が高まっていった。当時国内で稼動していた綿紡績機は、部品の大部分を輸入に依存しており、第一次世界大戦によって輸入が途絶えてしまった。このため、1918 年に、綿紡績機の最重要部品であるスピンドル(錘つむ)の国産化を意図して裏江製作所(現:日本スピンドル製造㈱)が創業した。また、大戦の好景気を受け、住友伸銅所 尼崎工場(現:住友金属工業㈱ 鋼管カンパニ-特殊管事業所)や久保田鉄工所 尼崎工場(現:㈱クボタ阪神工場(尼崎))等、多くの製鋼工場がこの時期に操業を開始し、「鉄の街・尼崎」が形成され始めた。製鋼工場の他にも、古河電気工業㈱、関西ペイント㈱、麒麟麦酒といった企業の工場建設が続き、こうした1920 年代の産業の発展は電力供給不足を呼んだ。このため、関西、特に尼崎地域には大容量の火力発電所が集中して建設されることとなった。
昭和に入ると、1931 年の満州事変以降の軍需インフレの中、阪神工業地帯では軽工業から重工業へと急速な工業構成の変化が起こった。工場規模の拡大や大規模工場の新設を可能にした背景として、鶴見川崎の京浜臨海工業地の造成を完成した浅野総一郎らにより、1930 年~1940 年に臨海工業用地が埋立・造成されたことが挙げられる。尼崎臨海部には、㈱尼崎製鋼所(後の㈱神戸製鋼所尼崎製鉄所、1987年に廃止)、大阪曹達㈱(現:ダイソー㈱)、日本亜鉛鍍㈱(現:日新製鋼㈱)等の工場が進出し、関西共同火力発電所(後の関西電力㈱尼崎第一・第二発電所、1970 年代に廃止)等が立地し、1942 年までには尼崎運河が完成した。また、東洋精機㈱をはじめ、この時期に大阪や東京から尼崎地域に進出する企業も多く見られた。こうして、埋め立てによる鉄鋼・石油・電力を主とする大工場地帯の出現、1 万トン級船舶が接岸できる一大工業港の形成、大阪・東京の資本投下等を経て、尼崎地域は、第二次世界大戦前には我が国屈指の重工業地帯として阪神工業地帯の中核を担った。
また、尼崎地域では、臨海部に重工業地帯が形成される一方で住宅地開発が急速に進められ、その範囲は阪神電鉄沿線からJR 東海道線や阪急電鉄沿線へと拡大していった。こうした都市化の流れは新たな都市問題・社会問題を生み、その深刻化とともに、工業都市尼崎は我が国における社会運動の中心地の1つともなった。
急速な産業発展・社会変化の結果、阪神工業地帯は、大正から戦前にかけては京浜工業地帯を上回る我が国最大の工業地帯となり、我が国の産業近代化の原動力として大きな役割を果たした。今日においても我が国有数の工業地帯の一つとして我が国の経済を支える存在となっている。
- 26-a 王子製紙(株)神崎工場煉瓦塀/兵庫県尼崎市
- 26-b 日本スピンドル製造(株)事務所/兵庫県尼崎市
- 26-c 住友金属工業(株)特殊管事業所鋳造管工場/兵庫県尼崎市
- 26-d ダイソー(株)尼崎工場事務所/兵庫県尼崎市
- 26-e 尼崎市内の運河/兵庫県尼崎市
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出典:経済産業省作成「近代化産業遺産群33」
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