HERITAGE OF MODEARNIZATION Story.28 日本酒製造業の近代化を牽引した灘・伏見等の醸造業の歩みを物語る近代化産業遺産群
近世以前からの伝統産業である日本酒製造業は、日本酒製造に適した環境条件や品質向上の努力により江戸時代に飛躍的発展を遂げた「灘五郷」などを中心に幕末・明治に至っても順調に生産量を拡大していた。
一方、酒造りを科学として捉えることの重要性もこの時期認識された。海外の醸造研究者の招聘、国立醸造試験所の設置と醸造法の研究が推進され、原料米の精白工程の機械化を軸に生産工程の革新や酒造労働者の醸造技術の変化などがもたらされた。このような日本酒をとりまく近代化の動きの中、伏見では、いち早く近代技術の導入・開発を進め、防腐剤なしの瓶詰め清酒の製品化、国立醸造試験所との技術交流、独自の研究機関の設置などが行われた。また、灘五郷でも、精米に始まる酒造工程への機械技術の導入や四斗樽に代わる一升瓶の採用など新しい時代に対応した酒造りの方法が模索された。
このストーリーの近代化産業遺産例
近世以前からの伝統産業である日本酒製造業は、日本酒の製造に適した環境条件の活用と品質向上の努力(山邑太左衛門による「宮水」の発見、海からの湿気と六甲おろし寒気、港に近く船積みに適した立地、播州の酒米、水車精米による大量で精白度の高い酒造米の確保、丹波杜氏の優れた技術と寒造への集中など)により江戸時代に飛躍的な発展を遂げた「灘五郷」*が、国内第一の産地としての地位を維持し、幕末に引き続き順調に生産量を拡大していった。
明治に入り、政府は、これまでまちまちに行われていた酒造政策を全国的に統一するため、1871 年に「清酒濁酒醤油鑑礼収与並ニ収税方法規則」の公布により、幕藩時代の酒造業の保護と特権の象徴であった株鑑礼制度と造石高制限をともに廃止し酒造業の営業の自由を保証する一方で、酒造税の徴収による画一的な租税収入の確保を実現した。また、1883 年からは、酒造税の納税保証物制度を導入し、地方の生産力の低い酒造家には土地所有を方向づけ、生産力の高い灘等の酒造家には有価証券の所有を義務づけて、酒造家の担税能力の引き上げを実施した。一方、清酒市場確保のため、1899 年の自家用料酒の製造禁止、1901 年の清酒及酒含有飲料税法の制定や麦酒税法の制定などの諸法案が成立。これらの政策により、明治以降の我が国の資本主義経済の発達過程において、酒造税は、地租とともに国家財政の主要な財源として、重要な意義を持つこととなった。
一方、酒造りを科学として捉えることの重要性が認識され、政府は海外の醸造研究者を我が国の大学に召集した。東京大学の前身の東京開成学校に1874 年に御顧教師として招集されたイギリス人のロバート・ウィリアム・アトキンソンは、世界で最初に清酒造りの調査研究を行い、酒母、清酒、酒粕の分析を行っている。これらの研究の成果は、日本酒の優れた技術とその意義を解明するとともに、酒造家に清酒醸造業の改良の必要性を認識させる契機を提供した。
また、政府は、1904 年には東京の滝野川に国立醸造試験所を設置し、醸造法の研究に着手した。この国立醸造試験所の開発した醸造法(その中心は1909 年の酒母製造法=江田鎌次郎の速醸元法、嘉儀金一郎の山卸廃止元法の確立)は酒造業を再編させる技術的基礎となった重要な研究であった。その醸造法の普及は政府機構を背景として推進され、原料米の精白工程の機械化を基軸に、生産工程の変化および酒造労働者の醸造技術変化とその再編を酒造業にもたらしていった。
このような日本酒をとりまく近代化の動きの中、「伏水(ふしみ)」と言われ良質の地下水を背景に発展していた酒どころ「伏見」は、江戸期には「伊丹・池田」や「灘」の酒に押されるなど低迷気味であったが、明治に入り、大倉酒造(現:月桂冠)が、いち早く近代技術の導入・開発を進め、防腐剤なし瓶詰め清酒の製品化、国立醸造試験所との技術交流や独自の研究機関の設置(大倉酒造研究所)などに取組み、急成長を遂げた。
一方、灘五郷の酒蔵でも、精米に始まる酒造工程への機械技術の応用や、四斗樽に代わる一升瓶の採用など、新しい時代に対応した酒造りの方法を模索し始めた。この時開発された新しいシステムは近代的な酒造りの基礎を築いた。その流れは戦後も続き、高度経済成長の時代に、酒造技術の発展も目覚しく、蒸し米放冷機、連続蒸米機、機械製麹機の開発など、酒造りの機械化により、従来非常な重労働を強いられていた蔵人たちの仕事量が大幅に軽減されるようになった。
これらの結果、今日においても「灘・伏見」と並び称されるような、日本酒の二大産地が形成された。
なお、このような新しい技術の開発による近代化の一方で、数百年の間に培われてきた伝統の技術もまた継承されており、多くの蔵元が近代的な製造ラインとは別に手づくりの工程を残している。
*「灘五郷」と呼ばれるようになったのは摂津灘酒造組合が設立された1886 年からであり、西宮市内の「今津郷」、「西宮郷」、神戸市の「魚崎郷」、「御影郷」、「西郷」を指す。
- 現在の清酒醸造法を確立した近世の日本酒製造遺産群兵庫県伊丹市中央及び宮ノ前地区
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清酒発祥の地として伝えられている伊丹は、江戸時代から続く酒造りのまちである。江戸時代のまちの経済の中心は江戸積み酒造業で、酒造りだけでなく、それにまつわる桶職人や樽職人などが集まっていた。
伊丹とその周辺の酒造家たちは「三段仕込み」といわれる技術を開発し、清酒醸造法を確立した。現在の清酒もその手法で造られており、三段仕込みによる諸白酒の生産は酒造業界の革命であった。
江戸後期に入り、国の制度や灘の酒造業の台頭により、伊丹・池田の江戸積み酒造業は激しい競争に巻き込まれ、伊丹の酒造家は減少することとなるが、現在もまちなかには白壁の酒蔵や旧岡田家住宅・蔵等が残っており、酒造で栄えた往時をしのばせている。
- 28-a 宮水発祥之地石碑/兵庫県西宮市
- 28-b 白鹿記念酒造博物館/兵庫県西宮市
- 28-c 白鷹禄水苑/兵庫県西宮市
- 28-d 今津灯台/兵庫県西宮市
- 28-e 灘の酒造用具(菊正宗酒造記念館所蔵)/兵庫県神戸市東灘区
- 28-f 白鶴酒造資料館/兵庫県神戸市東灘区
- 28-g 沢の鶴資料館/兵庫県神戸市東灘区
- 28-h 月桂冠大倉記念館/京都府京都市伏見区
- 28-i 松本酒造酒蔵/京都府京都市伏見区
- 28-j 十石舟と三栖閘門/京都府京都市伏見区
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出典:経済産業省作成「近代化産業遺産群33」
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