横浜市戸塚区 針きゅう はりきゅう専門 吉岡鍼灸院
吉岡鍼灸院
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「不尽知用兵之害者、則不能尽知用兵之利也」 『孫子』作戦篇より(2009/05)
- カテゴリ: 今月の言葉 2009/05/06 09:57
「尽(ことごと)く用兵の害を知らざる者は、則ち尽く用兵の利を知らざるなり」 以下、字数制限のため訓読、本文の一部、注を省略。全文は、こちら
を閲覧されたい
戦をすることで生じる損失を熟知していない者は、戦による利益も十分に理解していないのと同じだというのである。
治療も同様で、病所への直接(攻撃)的な治療による得失は、よくよく知っておく必要がある。
そもそも戦をするためには、「日費千金、然後十万之師挙矣」*1というように、それなりの兵力や物資が必要となり、相応の費用がかかるものである。
「其用戦也、久則鈍兵挫鋭、攻城則力屈、久暴師則国用不足」というように、もし戦争が長引けば兵や軍備が疲弊するだけでなく、国費もそれだけ不足することになる。そうなると、「夫鈍兵挫鋭、屈力殫貨、則諸侯乗其弊而起、雖有智者、不能善其後矣」というように、兵力も国家の財政も困窮し国力が衰えたことに乗じて、諸外国が攻め入ってくることは必定であり、もはや智謀に優れた軍師をもってしても防ぎ守ることはできない。
治療についても重篤な病になればなるほど、作用(副作用)の強い薬の投薬量が増え、大がかりな手術が必要になり、それだけに体への負担も大きくなる。それで終わればよいが、病の重さに比例して再発の確立も高まり、数度にわたって重い病を繰り返すことも少なくなく、それに合併症の危険性も増すことだろうから、体への負担はなお大きくなるばかりである。長年にわたる消耗の果てに生じる病は、複雑かつ難症であることがほとんどで、予後も良好とはいえないものばかりであるから、名医をもってしても成否は定かではない。総じて治療による体の消耗はより大きく、その期間も長くなり、治療費も莫大な額になる*2。
戦による損失とは、ほかならぬ兵や軍備の疲弊と国費の消耗、すなわち国力の衰退である。
治療による損失とは、体の大きな消耗と散財、もっといえば寿命が縮小し家運が傾くことにほかならない*3。
《中略》
だから、「故兵貴勝、不貴久」といい、また「故知兵之将、民之司命、国家安危之主也(故に兵を知るの将は、民の司命、国家の安危の主なり)」というのである。
繰り返しになるが、戦争は勝つことが第一であるが、だからといって長くするべきものではない。戦争の利害得失を熟知する将軍という立場の人は、人民の生死を左右し、国家の存亡を決する主宰者なのである。
治療もまた成功することが第一であるが、攻撃的な治療は体への負担が大きいだけに、長く続けたり、何度も行うべきものではない。治療による得失を熟知する医者は、人の命(生死)や財産を預かる役目を負う者なのである。
《中略》
これは、原因の所在をどこに求めるかという問題でもあるのだが、例え肩や腰の痛みであっても、それを病所(症状を感じている場所)そのものの問題としてではなく、五蔵という身体の全てを実現する内部システムの不調和[により生じている症状の一つ]として捉えること、それが中国医学の身体観であり病態観なのである。こうした観点から、日々の生活で生じる五蔵の不調和をこまめに調整(是正)していけば、それによって生じる諸症状は軽いうちに解消していける、あるいは重くせずに済ませられるという発想、いわゆる未病治という考え方が生まれるのである*4。
そのためには、週一回の治療が基本になり、相応の予算を組む必要がある*5。
戦をすることで生じる損失を熟知していない者は、戦による利益も十分に理解していないのと同じだというのである。
治療も同様で、病所への直接(攻撃)的な治療による得失は、よくよく知っておく必要がある。
そもそも戦をするためには、「日費千金、然後十万之師挙矣」*1というように、それなりの兵力や物資が必要となり、相応の費用がかかるものである。
「其用戦也、久則鈍兵挫鋭、攻城則力屈、久暴師則国用不足」というように、もし戦争が長引けば兵や軍備が疲弊するだけでなく、国費もそれだけ不足することになる。そうなると、「夫鈍兵挫鋭、屈力殫貨、則諸侯乗其弊而起、雖有智者、不能善其後矣」というように、兵力も国家の財政も困窮し国力が衰えたことに乗じて、諸外国が攻め入ってくることは必定であり、もはや智謀に優れた軍師をもってしても防ぎ守ることはできない。
治療についても重篤な病になればなるほど、作用(副作用)の強い薬の投薬量が増え、大がかりな手術が必要になり、それだけに体への負担も大きくなる。それで終わればよいが、病の重さに比例して再発の確立も高まり、数度にわたって重い病を繰り返すことも少なくなく、それに合併症の危険性も増すことだろうから、体への負担はなお大きくなるばかりである。長年にわたる消耗の果てに生じる病は、複雑かつ難症であることがほとんどで、予後も良好とはいえないものばかりであるから、名医をもってしても成否は定かではない。総じて治療による体の消耗はより大きく、その期間も長くなり、治療費も莫大な額になる*2。
戦による損失とは、ほかならぬ兵や軍備の疲弊と国費の消耗、すなわち国力の衰退である。
治療による損失とは、体の大きな消耗と散財、もっといえば寿命が縮小し家運が傾くことにほかならない*3。
《中略》
だから、「故兵貴勝、不貴久」といい、また「故知兵之将、民之司命、国家安危之主也(故に兵を知るの将は、民の司命、国家の安危の主なり)」というのである。
繰り返しになるが、戦争は勝つことが第一であるが、だからといって長くするべきものではない。戦争の利害得失を熟知する将軍という立場の人は、人民の生死を左右し、国家の存亡を決する主宰者なのである。
治療もまた成功することが第一であるが、攻撃的な治療は体への負担が大きいだけに、長く続けたり、何度も行うべきものではない。治療による得失を熟知する医者は、人の命(生死)や財産を預かる役目を負う者なのである。
《中略》
これは、原因の所在をどこに求めるかという問題でもあるのだが、例え肩や腰の痛みであっても、それを病所(症状を感じている場所)そのものの問題としてではなく、五蔵という身体の全てを実現する内部システムの不調和[により生じている症状の一つ]として捉えること、それが中国医学の身体観であり病態観なのである。こうした観点から、日々の生活で生じる五蔵の不調和をこまめに調整(是正)していけば、それによって生じる諸症状は軽いうちに解消していける、あるいは重くせずに済ませられるという発想、いわゆる未病治という考え方が生まれるのである*4。
そのためには、週一回の治療が基本になり、相応の予算を組む必要がある*5。
- カテゴリ: 今月の言葉 2009/04/14 14:20
「兵は多きを益ありとするに非らざるなり」以下、字数制限のため訓読、本文の一部、注を省略。全文は、こちら
を閲覧されたい
戦において、兵の数が多ければそれでよいわけでもなく、兵力が強力であればそれでよいわけでもないというのである。
なぜか。「夫惟無慮而易敵者、必擒於人」というように、兵の数や力にまかせて何も考えずに敵をあなどっている者は、敵の捕虜にされるに決まっているからである。
治療においても、各種の治療法や治療道具をただ取り揃えていればよいわけでもなく、また治療の量がただ多ければよいわけでもない。豊富な治療法や道具の備えに安心し、また施術の量にまかせて病を軽んずれば、治療はきっと失敗することになるだろう。
どうすればよいか。「惟無武進、併力料敵、足以取人而已」というように、力まかせに勇んで猛進せず、兵はしっかりと団結し、かつ敵状をよく探り[形勢に適切な戦略を立て、それに応じた戦術を駆使したなら]、きっと勝ちを得られるであろうというのである。
より詳しくいえば、次のようになる。
〈中略〉
したがって、治療においてもまず患者と施術者の信頼関係が築かれていることが最も重要である。そのうえで、病者の状態(生活環境の良否や感情の起伏など)と病状とをつぶさに診察し、診断に応じた治療方針を立てることで、はじめて施術を進めていくことができるというものである。
「料敵(敵を料る)」ことは、診察することであり、戦略を練ることは、診断に応じた治療方針を立てることである。治療の方法や使用する道具、施術の量は戦術に属す事柄であるから、なによりもまず病勢に応じた適切な戦略を決定することが第一となる。戦術たる治療法や道具は、戦略たる治療方針、ひいては診察によって構築(診断)された病態像に応じて選択駆使されるべきものであるために、その備えは万全であるべきであるも、それだけでは用を為さないし、まったく安心もできない。
備えとしての戦術を十全に生かせるかどうかは、適切な戦略を立てられるかによって決まる*。
そのために、軍師たる施術者は、病者の状態と病状との関係を細かに診察することで病勢(形勢)を診断し、病の推移を予測することを片時も怠ってはならないのである。
*:省略。
戦において、兵の数が多ければそれでよいわけでもなく、兵力が強力であればそれでよいわけでもないというのである。
なぜか。「夫惟無慮而易敵者、必擒於人」というように、兵の数や力にまかせて何も考えずに敵をあなどっている者は、敵の捕虜にされるに決まっているからである。
治療においても、各種の治療法や治療道具をただ取り揃えていればよいわけでもなく、また治療の量がただ多ければよいわけでもない。豊富な治療法や道具の備えに安心し、また施術の量にまかせて病を軽んずれば、治療はきっと失敗することになるだろう。
どうすればよいか。「惟無武進、併力料敵、足以取人而已」というように、力まかせに勇んで猛進せず、兵はしっかりと団結し、かつ敵状をよく探り[形勢に適切な戦略を立て、それに応じた戦術を駆使したなら]、きっと勝ちを得られるであろうというのである。
より詳しくいえば、次のようになる。
〈中略〉
したがって、治療においてもまず患者と施術者の信頼関係が築かれていることが最も重要である。そのうえで、病者の状態(生活環境の良否や感情の起伏など)と病状とをつぶさに診察し、診断に応じた治療方針を立てることで、はじめて施術を進めていくことができるというものである。
「料敵(敵を料る)」ことは、診察することであり、戦略を練ることは、診断に応じた治療方針を立てることである。治療の方法や使用する道具、施術の量は戦術に属す事柄であるから、なによりもまず病勢に応じた適切な戦略を決定することが第一となる。戦術たる治療法や道具は、戦略たる治療方針、ひいては診察によって構築(診断)された病態像に応じて選択駆使されるべきものであるために、その備えは万全であるべきであるも、それだけでは用を為さないし、まったく安心もできない。
備えとしての戦術を十全に生かせるかどうかは、適切な戦略を立てられるかによって決まる*。
そのために、軍師たる施術者は、病者の状態と病状との関係を細かに診察することで病勢(形勢)を診断し、病の推移を予測することを片時も怠ってはならないのである。
*:省略。
「将不聴吾計用之、必敗、去之」 『孫子』形篇より(09年3月)
- カテゴリ: 今月の言葉 2009/03/10 14:13
「将に吾が計を聴きて之れを用いざらんとすれは、必ず敗る。之れを去らん」*1 以下、字数制限のため訓読・注省略。全文は、こちら
を閲覧されたい。
私の計略を聴くも、その計略を採用しないのなら、敗戦は目に見えているのだから、[その責任を押しつけられても困るし、そもそも自分はこの国にとって不要な存在なのだから]私はこの場を去りましょう、と言うのである。そもそも「百戦百勝、非善之善者也。不戦而屈人之兵、善之善者也」(謀攻篇、08年2月 )であって、戦をせずに国を全うすることが最善であるが、もし戦をかまえるならば「善戦者、勝於易勝者也」であり、また「勝兵先勝而後求戦」(形篇、08年3月 )ものであるから、勝算のある[あるいは十分な勝算を得られる状態に整えられた]場合にのみ踏み切るべきである。そのために、「知彼知己」(謀攻篇、09年2月 )、「策之知得失之計(之れ[=敵状]を策りて得失[自己の利害=勝算]の計を知る)」(虚実篇、08年9月 )必要がある。なお、「知勝有五」(謀攻篇、09年1月 )ため、それらを熟知していなければならない。そうすることで「百戦不殆」(謀攻篇、09年2月 )状態になれる。だから、「上兵伐誅」(謀攻篇、08年2月 )こと、すなわちはかりごとをもってはかりごとを制すること、はかりごとをめぐらして勝ち(勝算)を得る[敵に負けない国力を備える]ことが最善とされるのである。つまり、軍師はそうした総合的な計略を立てられる者でなくてはならないし、君主あるいは将軍は、軍師のそうした計略をよく理解して、それに従い行軍すべきである。そうすれば、「将聴吾計用之、必勝、留之」ということになるのであるが、もし十分に理解せず、勝手に行軍すれば勝てる戦も敗戦することにもなるだろう。
治療においても同様で、施術者は病の状態のみならず病者の衣食住などの生活環境などを総合的に判断し、状況に応じた治療方針を立て治療(生活指導も含む)にあたるものである。病者はその治療方針を理解し、施術者の指示に従い治療に専念していけば、おのずと結果もついてくるだろう。しかし、治療方針を十分に理解せず、気の向くままに行動し、また病状の勝手な判断で治療間隔を自らで決めたりすれば*2、治るものも治らないことになるだろう。こうなると、施術者は軍師ではなく、都合のよい相談者になりはて、治療も肩もみのごとき慰安と化し、もはや治療の体をなしていない。さすがに依頼を断ることはしないけれども、ただでさえ難しい状況にある場合が多いのだから、指示を違えて経過が芳しくないのはやむを得えないことで、その責めは自ら負ってもらうしかないだろう*3。
治療とは、病者が好き勝手に治療方法や治療日を選択して進めることではなく、軍師たる施術者の的確な指示に従い、ともに進めていくものである。
私の計略を聴くも、その計略を採用しないのなら、敗戦は目に見えているのだから、[その責任を押しつけられても困るし、そもそも自分はこの国にとって不要な存在なのだから]私はこの場を去りましょう、と言うのである。そもそも「百戦百勝、非善之善者也。不戦而屈人之兵、善之善者也」(謀攻篇、08年2月 )であって、戦をせずに国を全うすることが最善であるが、もし戦をかまえるならば「善戦者、勝於易勝者也」であり、また「勝兵先勝而後求戦」(形篇、08年3月 )ものであるから、勝算のある[あるいは十分な勝算を得られる状態に整えられた]場合にのみ踏み切るべきである。そのために、「知彼知己」(謀攻篇、09年2月 )、「策之知得失之計(之れ[=敵状]を策りて得失[自己の利害=勝算]の計を知る)」(虚実篇、08年9月 )必要がある。なお、「知勝有五」(謀攻篇、09年1月 )ため、それらを熟知していなければならない。そうすることで「百戦不殆」(謀攻篇、09年2月 )状態になれる。だから、「上兵伐誅」(謀攻篇、08年2月 )こと、すなわちはかりごとをもってはかりごとを制すること、はかりごとをめぐらして勝ち(勝算)を得る[敵に負けない国力を備える]ことが最善とされるのである。つまり、軍師はそうした総合的な計略を立てられる者でなくてはならないし、君主あるいは将軍は、軍師のそうした計略をよく理解して、それに従い行軍すべきである。そうすれば、「将聴吾計用之、必勝、留之」ということになるのであるが、もし十分に理解せず、勝手に行軍すれば勝てる戦も敗戦することにもなるだろう。
治療においても同様で、施術者は病の状態のみならず病者の衣食住などの生活環境などを総合的に判断し、状況に応じた治療方針を立て治療(生活指導も含む)にあたるものである。病者はその治療方針を理解し、施術者の指示に従い治療に専念していけば、おのずと結果もついてくるだろう。しかし、治療方針を十分に理解せず、気の向くままに行動し、また病状の勝手な判断で治療間隔を自らで決めたりすれば*2、治るものも治らないことになるだろう。こうなると、施術者は軍師ではなく、都合のよい相談者になりはて、治療も肩もみのごとき慰安と化し、もはや治療の体をなしていない。さすがに依頼を断ることはしないけれども、ただでさえ難しい状況にある場合が多いのだから、指示を違えて経過が芳しくないのはやむを得えないことで、その責めは自ら負ってもらうしかないだろう*3。
治療とは、病者が好き勝手に治療方法や治療日を選択して進めることではなく、軍師たる施術者の的確な指示に従い、ともに進めていくものである。
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